福島第一原発の深刻なトラブルを見聞きするときに、
(そういえば、「原発は絶対に安全らしい」という言い方をする人がいたな~)
と思うのです。
もちろん、こうしたトラブルが起こった今となっては、
――絶対に安全
が「砂上の楼閣」であることは自明なのですが――
3月11日の震災前ならば――
その「楼閣」の脆さに気づけなかった人は多かったことでしょう。
かくいう僕も、その一人でして――
もちろん、
――どんなテクノロジーにも「絶対に安全」ということはない。
ということは知識としては持っていました。
が――
心のどこかでは、
(日本の技術力をもってすれば、よほどの大災害であっても、深刻なトラブルは回避しうるだろう)
と思っていました。
見通しが甘かったのですね。
どんなテクノロジーにも「絶対に安全」はありえないと述べました。
いま、そのことをしみじみと、かみしめています。
もし、「絶対に安全」を確保したいのなら――
そのテクノロジーを捨てることです。
つまり、
――原発は絶対に安全である。
という命題は、
――原発は存在していない。
という命題と同値なのです。
「原子力発電」というテクノロジーを捨てるか――
「絶対に安全」というスローガンを捨てるか――
二者択一ですね。