小説を書いていると――
自然に自分の好みが反映されてしまうものなのです。
例えば――
登場人物の愛用している日常品が、なぜか作者自身の愛用品と同じであったりして――
ですから――
小説は、極度にプライベートな文芸手法だと理解できるわけですが――
本当は、そういうことではいけないのだろうと思います。
作者の嗜好が滲み出ているような小説は、本当の意味での文芸ではありえないでしょう。
本当の小説とは――
第1に、小説という文芸手法を用いてしか伝えられない主張を見出して――
第2に、その主張を最も鮮烈に伝えるための物語を考える――あるいは、探し出す、紡ぎ出す――
第3に、その物語の中に無駄が含まれていないかどうかを精査する――特段に主張と関わることではないのに何となく言及されていることがありはしないか――そうした箇所をみつけたら、確実に省いていく――
そういう手続きの踏まれた小説が、本当の意味での文芸であろうと思います。
主張なき文芸は、読み手を無視しているに等しくて――
読み手を無視した文芸は、鑑賞を考慮しない芸術に他ならないからです。
したがって――
小説を書くときに、作者は、その作品の中から、いかに自分の影を消し去るかに躍起になるくらいが、ちょうどよいでしょう。
小説の中の自分の影というものは――
たいていは「特段に主張と関わること」ではなく、「何となく言及されていること」であることが多いからです。