マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

天王山

 ――天王山

 という言葉が、ネット上で、ささやかに注目を集めています。

 きっかけは、きのうのプロ野球日本シリーズの第6戦――
 先に4勝したほうが優勝となる7戦制で――
 中日ドラゴンズは、ソフトバンク・ホークスを相手に、2勝3敗と負け越していました。

 結果は、ドラゴンズが 2-1 で勝ち、対戦成績を3勝3敗の五分に戻しています。

 ドラゴンズの落合博満監督は、勝利後のインタビューに答え、

 ――マスコミのいう「天王山」は使い方が間違っている。勉強して欲しい。

 と注文をつけられたそうです。

 そのインタビューの様子を僕はみていないので、経緯の詳細を知りません。

 ネットのニュースで調べた限りでは、

 ――落合監督は「第7戦こそが本当の『天王山』であり、それ以前の試合は『天王山』とはいえない」と、記者に苦言を呈した。

 といった報道が大勢を占めているようですが、

 ――落合監督は「第6戦こそが本当の『天王山』である」と位置付けていた。

 と報じている記事もあり――
 錯綜しています。

「天王山」というのは――
 日本の近世初期に起こった山崎の戦いに由来をもつ言葉で、

 ――大局的な勝敗の帰趨を決定した前哨戦

 という意味合いをもっています。

 山崎の戦いは、本能寺の変織田信長を殺害した明智光秀が、中国大返しを成し遂げた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)を迎え討った戦いです。

 山崎の地が主戦場になると見込んだ両者は、天王山という小山に陣地を築けば戦いを優位に進められると考え、陣取り合戦を始めます。
 この局地戦を制したのが、羽柴秀吉でした。
 天王山に陣地を確保した羽柴軍は、その後、明智軍に激しく攻勢をかけ、ついに明智光秀を敗走に追い込みます。

 つまり、天王山の戦いとは前哨戦であり、その後の大局を決定付けた局地戦であって、いわゆる最終決戦ではありません。

 よって、時折「天下分けめの天王山」といった言い方を耳にするのですが、これは誤用です。

「天下分けめ」といえば、ふつうは「関ヶ原の戦い」を指します。
 徳川家康が石田光成らを破って名実ともに天下人と認知された戦いです。

 で――
 日本シリーズに話を戻すと――
 最終戦である第7戦は「天王山」とはなりえません。

「天王山」は前哨戦ですから、第1戦から第6戦のどこかに「天王山」はあったはずです。

 では、第6戦がそうであったかといえば――
(そうかもしれない)
 と、僕は思います。
 
 これまでの日本シリーズでは、2勝3敗とリードを許していたチームが、第6戦以降に連勝をしたケースが少なからずあるのです。
 つまり、2勝3敗とリードを許していたチームが第6戦に勝てば、第7戦にも勝って優勝する可能性が高い――
 つまり、第6戦こそが「天王山」といえそうなのですね。

 明智光秀羽柴秀吉とが天王山を巡って陣取り合戦を始めたときに、形勢は明智光秀に不利でした。
 その直前、羽柴秀吉は中国地方で敵軍と戦っていたのです。

 ――そんなに急には戻って来られまい。

 というのが、明智光秀のよみであったといわれます。

 そのよみは中国大返しで大きく外れました。
 明智軍に動揺が広がったことは容易に想像できます。

 まさに2勝3敗でリードを許していたような形勢に、明智軍はあったのです。

 よって、もし、落合監督のご発言の主旨が「第7戦こそ『天王山』」であるならば――
 そのご見解は誤っているということになります。

 逆に、「第6戦こそ『天王山』」であるならば――
 そのご見解は全くもって正しいのです。

 ただし――
 最近の研究が明らかにするところでは――
 史実の山崎の戦いに天王山の陣取り合戦に相当するような前哨戦は起こらなかった可能性が高いのだそうです。

 落合監督が記者に「勉強して欲しい」と苦言を呈されたのは――
 このことであったのかもしれません。

 そもそも――
 勝負に挑む当事者にとっては「天王山だ!」と騒がれるのは、よい迷惑でしょう。

 しかも、史実では、天王山の陣取り合戦などは存在しなかったかもしれないとなれば、なおさらです。

 ある試合が「天王山」かどうかは――
 全ての勝敗が決したあとに振り返ってみて初めてわかるものです。