中学や高校の数学の問題を解く技術や感覚が、現実の社会で遭遇する問題を解決する上でも役に立つ――
という主張が、洋の東西を問わず、昔から、けっこう精力的になされているとききます。
(ホントに役に立つのかな~)
と思います。
誤解のないように述べますと――
僕は中学や高校の数学の問題を解くのは好きですし、けっこう面白いと思っていますし、ひょっとしたら何かの役に立つかもしれないとは願ってはいるのですが――
でも――
誰かに、面と向かって、
――本当に役に立ちますか。
と訊かれたら、
――たぶん役に立ちませんよ。
と答えるでしょう。
なぜかといえば――
中学や高校の数学の問題の多くは、大学や学校の数学の教師によって人工的に作成されたものだからです。
現実の社会で遭遇する問題は、人工的に作成されたものではありません。
少なくとも、大学や学校の教師が教育の手段として作成した問題ではない――
人知を超えた問題に取り組むのに、人知に収まった問題を参考にしようとしていては――
浅慮の誹(そし)りを免れないでしょう。
もちろん、こうもいえます。
すなわち――
人知に収まった問題が解けないようでは、人知を越えた問題が解決できるわけがない、と――
そういう意味では――
中学や高校の数学の問題を解く技術や感覚も、全く無意味ではありません。
そうした技術や感覚は、現実の社会で遭遇する問題を解決するための必要条件ではある――
といってよいでしょう