不器用な人の魅力って――
ありますよね。
ぎこちないなりに何とか最後までやりとげようとする姿――
たぶん――
若いうちは、不器用が魅力だなんて、とうてい思えない――だって、自分自身が幼稚だから――
若いうちは、洗練を求めたがる――つい洗練だけを追い求めてしまう――
が――
ある程度、歳をとって、若くはなくなる頃に――
人は、物事を何とか自力で洗練させられるようになります。
すると――
今度は、なぜか洗練されていない物事へ、自分の関心が向かうようになるのです。
おそらく――
洗練されていない現状をみて、そこから次第に洗練されていく様子を、想像するのでしょう。
洗練されていく物事を想像の中でリアルに思い描くのではありません。
架空の洗練に思いを馳せるのではなくて――
文字通り、これから洗練されていくであろう可能性に――つまり、洗練の潜在性にこそ――魅力が宿るのです。
想像の中で、洗練された完成品がみえてしまってはダメなのです。
何もみえていない――ただ可能性だけを感じさせている――
それが、最も必要なのです。