マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

むしろ野暮の極み

 本当の意味で大事な話というのは――
 たいていは、表に出てこないものです。

 この場合、「表に出る」とは――
 例えば、公の場で議論になる、書物として出版される、TV番組などで放映される、といったことです。

 ときどき、大事な話が無理に表に出されているところをみかけますが――
 そういう話を注意深く追っていくと、肝心なところが省略されていたり、核心部分から遠ざかったりしています。

 なぜ、そうなるのか。

 おそらく、そういう話を無理に表に出そうとすると――
 その話に絡んでいる人たちが皆、何となくいいよどんでしまうからです。

 大事な話というのは、皆、本当は触れたくないのですよ。

 ……

 ……

 大事な話って何かって?

 それは――
 人によって様々ですから、一概にはいえませんよ。

 ある人にとっては、生老病死のことでしょう。

 別の人にとっては、人付き合いの極意かもしれません。

 仕事で成功する秘訣かもしれません。

 場合によっては、美男・美女の定義であったり――

 ……

 ……

 そんなふうに、自分が本当に大事に思っている話というのは――
 実は皆、自分で、じっくり考えていたいのです。

 軽々しく表に出して、ひっかきまわされたくないのです。

 いえ――
 表に出すときは、ひっかきまわされても平気なように、お茶を濁す感じにするのです。

 それでよいと思います。

 本当の意味で大事な話というのは――
 それを予告なく耳にする人を打ちのめすからです。

 頭を真っ白にさせたり、一瞬で鼻白ませたり――

 軽々しく表に出すのは、むしろ野暮の極みです。