僕ら日本人にとっては、一般概念としての歴史と、いわゆる「日本史」と呼ばれる歴史とは、異質であると思っています。
僕らが「日本史」といえば、そこには、社会史、政治・経済史、文化史、民族史などを、すべて込めています。
例えば――
2000年前の日本列島では、日本人が今の僕らと変わらずに暮らしており――
そこには、僕らの先祖が築いた社会があり、営んだ政治があり、育んだ文化があり、受け継いだ家庭があると思っています。
つまり、2000年前の日本人と今の僕らとの間には、連続的な変遷の過程があると、何となく信じられているのですね。
ところが、2000年前のイタリア半島では、話が違います。
2000年前にイタリア半島に暮らしていた人たちは、今のイタリア人とは全く無縁の人たちと考えてもよいくらいに――
つなげがたい断絶があるそうです。
イタリアの例は稀ではなく、むしろ普通であり――
日本の例のほうが、決定的に稀なのです。
通常、歴史といえば、社会の変遷なのか、政治・経済の変遷なのか、文化の変遷なのか、民族の変遷なのかをはっきりとさせる必要があります。
それらを渾然一体ととらえることが許されるという意味において、日本史は十分に特異的なのです。
が、この特異性を意識しないで日本史を敷衍するとき――
その歴史は、一般概念としての歴史ではなく、何か特別なもの――あたかも、
――日本人による総“自分探し”
とでも呼んだほうがよいもの――に化けてしまいます。
それが日本史の最大の魅力であり、かつ、かなり厄介で危険な性質であると僕は思っています。
――日本史を学ぶだけでは歴史を学んだことにならない。
という可能性が示唆されるからです。