マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

当事者である難しさ

 当事者である難しさというのがあります。

 事件や現象の渦中にいるがゆえに――
 いま何が起こっているのか、どのように対処すべきなのかが、よくわからない――
 そういうことがあります。

 当事者でなければ――
 案外、簡単にわかることであったりするのですね。

 人間社会で起こる事件や現象というものは――
 いったん現場の喧騒から離れ、そこでの事態を冷静に観察し、冷徹に分析すれば――
 事態の本質が、わりと容易にみえてくるものです。

 が――
 当事者だと、そうはいかない――
 本質がみえづらい――

 ですから、有効な対処法をとっさには思いつけないのです。

 当事者である難しさというものは――
 実際に当事者になってみなければ、わかりづらいことです。

 当事者であることをいつも回避しているような人は――
 現場で実際に当事者になって戸惑っている人をみかけると、

 ――あいつ、バカじゃないのか。

 と、蔑んでしまいがちです。

 当事者であることを回避してはいけませんね。

 人は、どんなに歳をとっても、どんなに偉くなっても――
 当事者であることを継続的に体験しつづけることが大切です。