マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「愛国心」という言葉の使われ方

 僕は、

 ――愛国心

 という言葉を受け入れがたく感じます。

 もちろん、

 ――自国を愛する。

 という意志それ自体は自然であり――
 それが受け入れられないわけではありません。

 では、何が受け入れられないのかといえば――
 「愛国心」という言葉の使われ方です。

 例えば、領土問題で少しでも譲歩の姿勢をみせた人に、

 ――お前には愛国心がないのか!

 と詰問したりする――
 そういう使われ方が受け入れられないのですね。

 その人に愛国心があるかどうかは、表面上の言動からは、決してわかりません。
 その人の日頃の感じ方や考え方を――ときには、その人の暮らし方や生き方の全てを――深く理解し、広く解釈して初めて、わかることです。

 にもかかわらず――
 そうした手続きを省いて、いきなり「愛国心がないのか!」と詰問することは、「愛国心」という言葉を誤解しているからでしょう。

 それは――
 手首の脈が触れにくい人に向かって、

 ――お前には心臓がないのか!

 と詰問するようなものです。

 稀に心臓のない人間もいるなどと誤解でもしていなければ――
 決して出てくるはずのない詰問です。