マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

損は不幸とは限らない

(そんなに、たくさん物を持ちたくないな~)
 と思うのです。

(たくさん持ったら、手入れが大変でしょう?)
 と――

 でも――
 そんな自分を省みて、少しは思うのです。

(僕は損だな)
 と――

 物財的な幸福感というのは――
 結局は、「物を持ちたい」という欲求の枠組みの中に、どれだけの物財を充填させられるか、で決まってくるわけでしょう。

 その枠組みが小さければ――
 それだけ幸福感を得やすいわけです。

 その分、さらなる幸福追求の意欲が失われ、その分、多くの物財を手にする機会が失われる――

 それは――
 例えば、わざわざ高度経済成長期の論理を持ち出さなくても――
 やはり「損である」といわざるえないでしょう。

 が――
 それと同時に――

(それで幸せかもしれない)
 とも思うのです。

 大変に、ややこしいことではありますが――
「損である」ということは、必ずしも「不幸である」ということを意味しているのではないのです。