(そんなに、たくさん物を持ちたくないな~)
と思うのです。
(たくさん持ったら、手入れが大変でしょう?)
と――
でも――
そんな自分を省みて、少しは思うのです。
(僕は損だな)
と――
物財的な幸福感というのは――
結局は、「物を持ちたい」という欲求の枠組みの中に、どれだけの物財を充填させられるか、で決まってくるわけでしょう。
その枠組みが小さければ――
それだけ幸福感を得やすいわけです。
その分、さらなる幸福追求の意欲が失われ、その分、多くの物財を手にする機会が失われる――
それは――
例えば、わざわざ高度経済成長期の論理を持ち出さなくても――
やはり「損である」といわざるえないでしょう。
が――
それと同時に――
(それで幸せかもしれない)
とも思うのです。
大変に、ややこしいことではありますが――
「損である」ということは、必ずしも「不幸である」ということを意味しているのではないのです。