マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

懸念を楽しむような余裕があれば

 わかっているようで、わかっていないこと――
 というのが、時々あります。

 誤解していたり、理解不足を自覚していなかったり――

 そういうときは――
 自分の誤解や理解不足を無意識のうちに認識しないようにしているのでしょう。
 矛盾や不可解への懸念を封じ込めている――

 したがって――
 自分自身の心の中に浮かぶ懸念を楽しむような余裕があれば――
 ひょっとすると、「わかっているようで、わかっていない」を避けることができるのかもしれません。

 その「懸念」を、

 ――知的好奇心

 に結びつければよいのです。