マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本質は掴むものではなく

 物事の本質を掴むということは――
 物事の細部を切り捨てるということに、どうしてもなりがちです。

 少なくとも、人が早期に何事かの本質を、

 ――理解した!

 と思い込むためには――
 いったんは細部を無視しなければ難しい――
 それは、おそらくは人類の知の経験的な事実です。

 が――
 そうはいっても、やはり、
(細部は本当に無視してよいのか)
 という疑問は残ります。

 ――神は細部に宿る。

 などといいますから……。

 細部を無視して本質を理解することなど、
(……できるのか)
 と――

 全ての細部を掻き集め――
 それでもなお、手に残る何かがあるのだとすれば――
 それが本質ではないでしょうか。

 本質は掴むものではなく――
 手に残る何かかもしれません。