マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

時の流れの速さは重要ではない

 慣れていないことばかりをやっていると――
 時が経つのは本当に遅いのですね。

 なかなか時が経っていかない――
 経っていくようには感じられない――

 ですから――
 時が経つのを遅く感じるためだけに――
 自分が不慣れなことに挑戦する人たちも――
 世の中には少なからずいるのだそうですが――

 時が経つのが遅く感じられるというのは――
 人生の密度を濃くしているのか薄くしているのか――
 はたして、どちらなのでしょうかね。

 実は――
 時を遅く感じるときというのは――
 何もすることがなくて、一日中、暇つぶしをしているような場合でも、ありうるのですよ。

 この場合は、人生の密度は、たぶん薄いですよね。

 では――
 不慣れなことに取り組み続け、一日中、四苦八苦しているような場合は、どうでしょうか。

 こういう場合でも、時が遅く感じられるのは間違いないと思いますが――
 このとき、人生の密度は、薄いといえるのか、あるいは、濃いといえるのか――
 はたして、どちらなのでしょう。

 その答えは――
 その不慣れなことに取り組み続けている自分、あるいは、そのときの自分の気持ちを肯定的にとらえるのか、否定的にとらえるのかの一点にかかってくると思うのです。

 否定的にとらえる人にとっては、それは、間違いなく人生の密度が薄くなっている――
 肯定的にとたえる人にとっては、濃くなっているけれども――

 ということは――
 何もすることがなくて、一日中、暇つぶしをしているときでも――
 人生の密度は十分に濃くなりうるわけです。

 一日中、暇つぶしをしている自分、あるいは、そのときの自分の気持ちを肯定的にとらえる人にとっては、


 ――ああ~、暇だ。何もすることがない。時間の流れが遅い~。

 と思っている時ですら、密度の濃い人生を送っているわけです。

 時の流れの速さの問題は――
 すなわち、時が経つのを遅く感じるのか、速く感じるのか、という問題は――
 たぶん、人生の意味論としては、それほど重要ではないでしょう。

 一義的に重要なのは――
 自分が行う行為への価値観や自己評価です。