マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「頭が良い」という概念が雲散霧消するとき

 いわゆる「頭が良い」というのは、

 ――相手の考えや気持ちがわかる。

 と、ほぼ同義だと思っています。

 決して「外国語が堪能である」とか「計算が速くて正確である」とか「人が知らないことをいっぱい知っている」とかいうことではなくて――

 つまり「頭が良い」という概念は――
 人が、自分の脳の限られた働きに依拠して暮らしている限りは、有効であるけれども――
 そうでない世の中がやってきたら、無効である――
 ということです。

 ……

 ……

「そうでない世の中」とは、どんな世の中なのか――

 ……

 ……

 それは――
 人の脳の働きと人の作った電算機(コンピュータ)の働きとに互換性をもたせるような世の中です。

 人が、自分の脳に電算機を繋ぎ、電算機の働きを部分的に借用して、外国語を操ったり、計算をしたり、知識を蓄えたりするようになれば――
 おそらく、「頭が良い」という概念は、雲散霧消するでしょう。

 ただし、それは――
 脳を電算機に繋げば、誰でも外国語を操ったり、計算をしたり、知識を蓄えたりできるようになるから、ということではなくて――

 そのような互換性の技術が確立されれば――
 相手の考えや気持ちがわかる能力が、まったく特別なものではなくなってしまうから、です。

 そのような世の中では――
 人は、電算機を介し、相手の考えや気持ちをいくらでも理解することができてしまうに違いありません。