マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

たしかに「空想」だった

 まだアメリカとソビエトとの冷戦構造の記憶が新しかった1990年代に――

(今度はアメリカと中国との冷戦構造ができあがったりして……)
 などと空想していたことがありました。

 今でこそ――
 そうした予想は現実に起こりうることとして、あちこちで語られていますが――

 当時は、たしかに「空想」だったのですよ。

 間違いありません。

 だって――
 その「空想」を楽しんでいた当人が、
(これは「空想」だ)
 と思っていたのですから――

(ひょっとして、本当にそうなるかも……)
 などと思っていたら――

「空想」になりません――「予想」になります。

 もう少し緊張感を背負うことになるでしょうね。

 たぶん、そんなに楽しくはないでしょう。

「空想」の醍醐味は、

 ――そんなの、まず、ありえない。

 という“お気楽さ”です。

 ……

 ……

 そうした“お気楽さ”は――

 今の国際情勢には、皆無ですよね。