マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

網羅の魔性

 目で見て、耳で聞いて、手で書いて、口で話して――
 これら4つの過程が学習の基本であろうと思いますが――

 教育の現場では――
 これら4つのうち、どうしても「目で見て」だけが強調される傾向にあります。

 例えば、教科書を読むとか――

 お決まりの勉強法ですね。

 なぜか。

 それは――
「目で見て」の場合は恐ろしく効率が良いからでして――
 あっというまに全体を網羅できる――少なくとも、網羅できるような気分になれる――からです。

 もちろん――
 実際には、全体を網羅するなど、そう簡単にはできるはずもなく――

 それどころか――
 たった一片の部分すらも、きちんとは学習できなかったりするものです。

 が、「全体を網羅できるかも……」と思わせる何かが――
 教科書などの本には込められているものです。

 仕方のないことです。

 ――全体を網羅するなんて、ムリですよ~。

 と喧伝しているような教科書が皆に読まれるとは、ちょっと思えませんからね。

 あるいは、

 ――これを読んだって、物事の一部しかわからない。

 と喧伝しているような本も、同様です。

 おそらく、

 ――網羅の魔性

 とでも呼ぶべき性質が――
 教科書や本には備わっているのです。

 それが、教育の現場では「目で見て」だけが強調される傾向にある理由でしょう。

 たしかに、本当に網羅できるなら――
 学習者にとっても教育者にとっても、大変にありがたいことですがね~。