マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分が作り出した物語に題名をつける欲求を

 物語の題名は、たいていは、その物語の最大の特徴をとらえてつけられています。

 ですから――
 題名が、物語の最短の要約になっていたりするのですね。

 それゆえに――
 題名は、物語から少し距離をとっている人がつけると、よいそうで――

 そのほうが物語の全体を冷静に把握でき――
 かつ、その物語の最大の特徴を的確に指摘できるからです。

 逆に――
 その物語に強い思い入れのある人がつけたりすると――
 手ひどく失敗をします。

 その物語の中で――
 自分が最も関心を寄せている部分に突出した題名になってしまうからです。

 僕は――
 こうした題名にまつわる戒めを、もう10代の頃から、強く意識し続けてきましたが――

 それでも――
 僕は、自分が作り出した物語に題名をつける欲求を、今でも自覚しています。

 それは――
 自分が作り出した物語を、ある意味で破壊する――「破壊する」が過激すぎるならば、「変貌させる」くらいにとどめますが――そういう欲求を反映しているのかもしれません。

 ――この物語、なんか違うんだよな。本当は、もっと違う物語にするはずだったんだよな。

 という懐疑が――
 僕の心の中で、いつまでも渦巻いているのだろうと思っています。