心と心とを通わせる――あるいは、他者と共感しあう――ということは――
それができる人にとっては、とても簡単なことに感じられるのですが――
できない人にとっては、とても難しいことに感じられます。
ですから――
人生訓や処世術を語るときに、
――人間、心と心とを通わせなければダメだ。
と、おっしゃる方が時々いらっしゃるのですが、
――何をいっている! それができないから、困っているんじゃないか。
と、おっしゃる方もいることを――
決して忘れてはいけません。
例えば「しっかり挨拶しろ」と注意するように「他者と共感しあえ」と指図するのは――
ほとんど意味がないのです。
人生訓や処世術は――
心と心とを通わせられることが前提になっています――少なくとも、それが前提になっているものが多い――
が――
そもそも、心と心とを通わせられる人たちは、人生訓や処世術などを必要としていないのですね。
そのようなことを、たいていは既に体得してしまっているから――
心と心とを通わせられなくても、どうすれば生きていけるのか、どのように付きあっていけばトラブルを回避できるのか――
それこそが、人生訓や処世術に求められていることだといえましょう。