マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人生訓や処世術に求められていること

 心と心とを通わせる――あるいは、他者と共感しあう――ということは――
 それができる人にとっては、とても簡単なことに感じられるのですが――
 できない人にとっては、とても難しいことに感じられます。

 ですから――
 人生訓や処世術を語るときに、

 ――人間、心と心とを通わせなければダメだ。

 と、おっしゃる方が時々いらっしゃるのですが、

 ――何をいっている! それができないから、困っているんじゃないか。

 と、おっしゃる方もいることを――
 決して忘れてはいけません。

 例えば「しっかり挨拶しろ」と注意するように「他者と共感しあえ」と指図するのは――
 ほとんど意味がないのです。

 人生訓や処世術は――
 心と心とを通わせられることが前提になっています――少なくとも、それが前提になっているものが多い――

 が――
 そもそも、心と心とを通わせられる人たちは、人生訓や処世術などを必要としていないのですね。
 そのようなことを、たいていは既に体得してしまっているから――

 心と心とを通わせられなくても、どうすれば生きていけるのか、どのように付きあっていけばトラブルを回避できるのか――
 それこそが、人生訓や処世術に求められていることだといえましょう。