すぐに議論を普遍化したがるのは――
人間の性なのでしょうかね。
例えば、懇親会での出席者たちの動きを分析するときに、
――全ての出席者は人間であり、人間は全ての人間に共通する基本的性質を備えている。
ということを――
つい仮定してしまいがちです。
そう仮定することで、例えば、その懇親会の主催者は、出席者たちの利便性を講じているわけです。
でもね……。
そのような普遍化に意味があるということを直接的に保証するものは、何もありません。
ただ、自分たちの経験に照らして、
(たぶん、意味はあるんだろうな)
と楽観的に予測しているにすぎません。
本当は「全ての人間に共通する基本的性質」というものは存在しないのかもしれない――
存在しないと仮定すると――
それ以上の議論がしにくくなくなるので――
仮定する――
あらゆる議論の普遍化には――
そのような背景事情が隠れているように思います。