マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

歴史の誠実な語り方

 歴史が語られるときは――
 ほぼ例外なく、その語りの背景に主張が隠されているように思います。

 歴史を語る人は、何事かを主張したくて――
 それを裏づけるために、歴史を語っているのではないか、と――

 もし、そうならば――
 歴史を学ぶときは、十分に注意をしなければなりません。

 その歴史が、誰によって語られているかを――

 より厳密には――
 その歴史が、どんな主張の持ち主によって語られているかを――

 裏を返せば――
 歴史の誠実な語り方とは――
 自身の主張を明示することです。

 ――私は「AはBである」と主張する。この主張は「CはDであった」という歴史に基づく。

 というように――

 歴史の不誠実な語り方とは、「CはDであった」と歴史を語ることで、「AはBである」という主張を暗示すること――
 といえましょう。