マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「虚構の自由」を満喫した充足感

 ときどき、
 
 ――虚構の自由
 
 を満喫したくなります。
 
「虚構の自由」とは――
 虚構で何事かを表現するときに味わえる自由のことでして――
 
 例えば――
 この『道草日記』は虚構ではありませんから――『道草日記』を書いているときは、「虚構の自由」は楽しめません。
 
 この『道草日記』を書くときは、
(あ~、ウソを書かないように気をつけないとな~)
 と気をつけながら――
 いつも書いております。
 
 ですから――
 けっこう窮屈なのですよ。
 
 あれも書いちゃいけない、これも書いちゃいけない――
 
 が――
 虚構だったら、何でも書けるのですね――だって、虚構ですから――
 
 読んだ人に、
 
 ――ウソつけ!
 
 と怒鳴られたって、かまわない――だって、ウソですから――
 
 もちろん――
 あまりに自由に書きすぎて、
 
 ――しょうもない!
 
 と小バカにされることはあるのですが――
 それは、それ――
 どんな結果に終わっても、最終的には「虚構の自由」を満喫した充足感だけは残ります。
 
 その感覚は、体験する者にしかわからない――何事にも代えがたい報酬なのです。