マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ものすごく偏った思想の持ち主でも

 ものすごく偏った思想の持ち主でも――
 逆に、すごくバランスのとれた思想の持ち主でも――
 
 その人が、オリジナルの小説を書いてみるとき――
 
 その作品がどんな思想を伝えているかは――
 その作品が書き上げられて推敲が終わる最後の瞬間まで――
 予断を許さないようなところがあります。
 
 つまり――
 ものすごく偏った思想の持ち主が、小説を書いて、すごくバランスのとれた思想を伝えるかもしれないし――
 その逆があるかもしれないし――
 ということです。
 
 なぜならば――
 小説は虚構だからです。
 
 虚構では、現実の一部を大きくしたり小さくしたり、ときには削ったり付け足したりして、現実のありようを思うがままに整形することが――
 自由自在にできるのです。
 
 よって、その人が現実に抱いている思想が、思いがけず整形されて表出されることも珍しくない――
 
 もちろん、その整形が見事に功を奏する場合は、きわめて稀であろうと思いますが……。
 
 それでも――
 ものすごく偏った思想の持ち主が、すごくバランスのとれた思想を伝えていたら――
 
 なんだかワクワクします。
 小気味よいといいますか、気分爽快といいますか――
 
 ――これこそ、虚構の特長である!
 
 と、つい叫びたくなるような気持ちです。