マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

迷信の源泉

 日柄が悪い時は――
 積極的なことはせずに慎ましく過ごすようにしています。

 例えば、

 ――きょうは仏滅だから、おとなしくしていよう。

 というように――

 迷信といえば迷信でしょうが――
 仮に合理的な根拠が見出せなくても、留意しておくほうがよい俗信というものはある、と――
 僕は考えています。

 迷信というのは――
 結局は、人々の心を源泉としているからです。

 仏滅の日柄を忌み嫌う人が、世の中に誰もいなければ――
 その俗信に留意する意味は皆無といってよいでしょう。

 が――
 世の中の8~9割の人々が、仏滅の日柄を忌み嫌うのであれば――
 その俗信に留意する意味が出てきます。

 たとえ、そこに忌み嫌うべき合理的な解釈が成立し得なくても――
 世の中の8~9割の人々が忌み嫌っているという事実のみをもって――
 その俗信に留意する意味が出てきます。

「8~9割」が「4~5割」でも――
 話は同じです。

「1~2割」でも――

「1~2%」なら――
 少しは議論の余地もあるでしょうが――

 それでも――
 そこに何か性質的な違いを見出すことは、できません。

 見出せるのは、数量的な違い――

 つまりは――
 程度の差です。