マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

共感の中毒性

 日本人は、一般に、考察したり議論したりする際には、なかなか批判的になれない、と――
 いわれます。

 その通り、と――
 僕も思います。

 この場合の「批判的になる」とは、

 ――考察や議論の際に、対象となる事物を少しでも改善するために、あえて否定的に認識したり攻撃的に糾弾したりする。

 という意味です。

 なぜ日本人は“批判的になる”が苦手なのか――

 それは――
 日本人社会では概して“批判的になる”とは異質の、

 ――共感的になる。

 の姿勢が――
 強く推奨されているからです。

 この「共感的になる」は「批判的になる」の真逆といってもよくて――
 すなわち、

 ――考察や議論の際に、対象となる事物をなるべく改変しないように、あえて肯定的に認識したり保護的に支持したりする。

 という姿勢のことです。

 もちろん――
 これはこれで、ときに素晴らしい保全作用ないし回復効果を発揮するのですが――
 こうした姿勢だけでは、世の中の事物が少しも発展しないことは自明です。

 むしろ――
 皆で、ひたすら“共感的になる”に徹していたら――
 世の中は停滞し、そこに棲む人々は倦怠し――
 世の中は、さながら“中毒症”を発したかのような状態になってしまいます。

 この“共感の中毒性”に――
 日本人は、もっと敏感になるのがよいでしょう。

 共感的になることは、一時の快楽や安寧をもたらすがゆえに――
 強い依存性があることを忘れてはいけません。