マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

現代日本の女性の体の美しさ

 ――現代日本の女性の体の美しさとは何か。

 という問いを――
 きのうの『道草日記』でお示ししました。

 これは難問です。

 参考になりそうなのは――
 きのうの『道草日記』でも触れましたが――

 ――平安期日本の女性の体の美しさ

 でしょう。

 平安期日本の女性の体の美しさは、

 ――肥満体

 であったと考えられています。

 ……

 ……

 僕は――
 現代日本の女性の体の美しさは、

 ――平均的な体

 にあると思っています。

 つまり、

 ――中肉中背

 ですね。

 これは――
 いわゆる、

 ――美人顔

 の知見からの類推です。

 どういうことか――

 ……

 ……

 2006年6月29日の『道草日記』で述べています。

 実は、

  美人顔 = 平均的な顔

 であるらしいのです。

 現代日本の女性の顔の造りをデジタル画像に取り込むなどして数値化し、それら数値の平均を算出して――
 その平均値をもとに、顔の造りを再構成すると――
 現代日本の多数派の人々が、

 ――美人

 と認識する顔になるのだそうです。

 あくまで、「多数派の人々」であって、「全ての人々」ではないことにご留意ください。

 ……

 ……

 この知見を踏まえると――

 現代日本の女性の体の美しさも、おそらくは――
 少なくとも、現代日本の多数派の人々にとっては――

 ――平均的な体

 ――中肉中背

 にあると考えられます。

 ……

 ……

 こう述べると――
 当然ながら――
 次のような疑問が生じるでしょう。

 ――平安期は肥満体だったのに、なぜ現代は中肉中背なのだ? この間に、いったい何が起こったのか。

 という疑問です。

 その答えとして――
 僕は、

 ――現代では、女性の体の肥満度の偏りが、ほとんどみられないから――

 との予想をもっています。

 「肥満度」は、「痩身度」でもよいでしょう。
 個々の体が、どれくらい肥満か――あるいは、どれくらい痩身か――の指標です。

 平安期日本では――
 女性の体の肥満度は低値に偏っていたはずです――もちろん、「痩身度は高値に偏っていた」でも、かまいません。

 よって――
 肥満度の高い女性の体は稀少であり――
 それゆえに、その体には価値が生まれ――
 やがて、

 ――美しい

 と認識されるようになった――

 ところが――
 現代日本では、女性の体の肥満度(痩身度)に偏りはないはずです。

 栄養事情が芳(かんば)しくなかった平安期日本と違って――
 現代日本では、太ろうと思えば、いくらでも太れてしまう――

 もちろん――
 太ることを好ましく思わない女性も数多いに違いありません。

 よって――
 太る・太らないは、多分に女性個人の心身の資質に依っていると考えられます。

 つまり――
 現代日本では、ヒトの女性の体の肥満度(痩身度)は、理論上とりうる値を万遍なくとっている――
 それも――
 おそらくは、二項分布に従って統計的に整然と、とっているのです。

 よって――
 平安期日本では稀少とされた肥満体には、特別な価値が見出されにくくなり――
 代わりに、

 ――厳密な意味での平均的な体

 あるいは、

 ――究極の中肉中背

 に、特別な価値が見出されるようになった――

 そういうことではないでしょうか。

 ここでいう「厳密な意味での平均的な体」や「究極の中肉中背」は――
 単なる「平均的な体」や「中肉中背」とは異なります。

 体のデジタル画像に取り込むなどして数値化をしていって――
 その結果、得られる、

 ――ド真ん中のド真ん中

 それが、「厳密な意味での平均的な体」であり、「究極の中肉中背」であるのです。

 “ド真ん中のド真ん中”を少しでも外したら――
 それは、単なる「平均的な体」であり、「中肉中背」であるにすぎません。

 つまり――
 現代日本の女性の体の美しさは、

 ――ド真ん中のド真ん中

 に由来するのであって―― 
 その近傍には由来しない――
 ということです。