マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「千年に1人の美少女」? なかなかにいいじゃないか

 10代の女性タレントの売り込み文句で、

 ――千年に1人の美少女

 というキャッチコピーを目にしたときには――

 思わず――
 笑ってしまいました。

(ホントに「千年」かよ)
 と――

(「十年」の間違いじゃないのかよ)
 と――

(せめて「百年」くらいにしておけよ)
 と――

 もちろん――
 このコピーを考えた人や、このコピーを本気で信じたい人にとっては――
 たしかに「千年」に違いなく――
 そこは個人の信条ですから、何ら問題はないのですが――

 ……

 ……

 ちょっと――
 説得力はありませんよね。

 ……

 ……

 だいたい――
 千年間も生き通した人など誰もいない――
 せいぜい百年です。

 その百年を生き通した人が、

 ――たしかに、百年に1人の美少女であった。

 と重々しくコメントでもすれば、

 ――そうなのかな。

 と感じ入ったりするのかもしれませんが――

「千年」では――
 ちょっと……あまりにも、現実ばなれしていて……。

 ところが――

     *

 最近になって、
(別に、「千年」でもいいんじゃないか)
 と思うようになってきました。

 むしろ、
(「千年」で大いに結構!)
 と――

 というのは、
(「千年」でも「百年」でも「万年」でも、意味するところは一緒ではないか)
 と考えるに至ったからです。

 どういうことか――

 例えば――
 ある人が女の子をみて、

 ――千年に1人の美少女だ。

 と思ったとして――

 その後、その人が生きている間に、その人にとっての「千年に1人の美少女」が、他に現れなかったとしたら――
 その女の子は紛れもなく、その人にとっての「千年に1人の美少女」でありつづけるわけです。

 なぜなら――
 その人が死んだあとでは、その人にとっての「千年に1人」は決して現れないからです――
 すでに死んでしまっているから、その人が「千年に1人」と思うこと自体が、ありえない――

 つまり――
 人の最長寿命が千年を大きく下回っているので、「千年に1人」も「万年に1人」も「十万年に1人」も、意味するところは、ほぼ同じになります。

 ……

 ……

 そういうわけで――

 今の僕は――
 本気で思っています。

(「千年」で大いに結構!)
 と――

(「千年に1人の美少女」? なかなかにいいじゃないか)
 と――

 ……

 ……

 人の命は儚いものですが――

 儚いゆえに――
 悠久の時の流れに思いを刻むことができる……ともいえます。