――勝敗は兵家の常
という故事成語がありますね。
ここでいう「兵家(へいか)」とは、軍事に携わる人々――多くは指揮官――を指します。
つまり、
――軍事に携わるなら、勝ったり負けたりを繰り返すことが当たり前である。
といった意味になります。
主に戦争に負けた指揮官を慰める言葉として用いられていたようです。
が――
これは、近世以前の戦争に関して、いえることでしょう。
近世以前の戦争では、たとえ負けても指揮官が命を落とすことは稀でした。
近代以降の戦争では、たとえ指揮官でも負けたら命を落とす可能性が高い――
ですから――
近代以降の戦争が念頭にあると――
この故事成語には強い違和感を覚えます。
命を落とす可能性が高いのに「兵家の常(つね)」とは――
まともな感覚なら、いっていられないでしょう。
ところで――
*
現代社会では――
命を落とす可能性がないのに、勝ち負けのつくことが「常」である――
という営みがあります。
スポーツです。
*
日本時間のおととい朝――
日本人ないし日本に深く関わっている人々の多くが――
悔しい思いをしたでしょう。
こういうときこそ――
まさに「兵家の常」です。
もちろん、実際には「兵家」ではなくて「競技者」――スポーツ選手や監督・コーチら全員を含めて――ではあるのですが――
……
……
さすがに、スポーツ文化が盛んな現代社会で「兵家の常」は奇妙です。
戦争の比喩も穏やかではない――
ここは一つ、「兵家」を「競技」に置き換えて、
――勝敗は競技の常
としては、いかがでしょうか。
(こういう言い方が一般的になっていかないかな~)
などと夢想しています。