マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「経験値」は「経験知」か

 ここ20年くらい、

 ――経験値

 という言葉に――
 ずっと違和感を覚えています。

 例えば、

 ――もっと経験を積んでいきたい。

 といえば済みそうなところを、

 ――もっと経験値を積んでいきたい。

 といわれたりすると――

(え? なんで?)
 と思うのですね。

(そこは「経験値」でなく、単に「経験」でいいんじゃない?)
 と――

「経験値」というのは、ロール・プレイング・ゲームなどにみられるパラメータで――
 ふつうはゲームの登場人物たちの経験の量を、わかりやすく数値化したものを指します。

 よって、「もっと経験値を積んで……」というのは――
 自分をゲームの登場人物になぞらえて、半ば冗談半分にいう言葉としては、悪くないと思うのですが――

 社会的に立場のある人たちが――例えば、政治家などが――多少なりとも深刻な状況において――
 これを口にしたりすると、

 ――ガク!

 となります。

(今は、別に茶化すところじゃないだろ)
 と――

 ……

 ……

(なんで、「経験」といわずに、わざわざ「経験値」というのかな)
 と思って――
 ずっと訝っていたのですが――

 きょう――
 気づいたことがありまして――

 それは、
(「経験値」というのは「経験知」かもしれない)
 ということです。

 ――経験知

 とは――
 経験を通して無意識に習得される知識や知見のことですね。

(これなら、政治家が記者会見で用いたとしても、別に「ガク!」とはならないな)
 と思いました。

 ちょっと気取った印象は与えると思いますけれど――

 ……

 ……

 やっぱり、

 ――経験

 で十分だと思うのですがね~。