マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

存在感の希薄な指導者が有能とは限らない

 突きつめた指導方針を言葉で明確に表しているかどうか――

 それが――
 組織の指導者に求められる基本的な資質です。

「言葉で表している」ということは――
 十分に具体化され、形式化されているということであり――
 かつ――
 他者が理解しうるメッセージとして整えられ、言い表されているということです。

 どんなに立派な指導方針であっても――
 それが組織の人員の多くに理解されなければ――
 絵に描いた餅で終わります。

 もちろん――
 指導者としての役割は果たせません。

 きのうの『道草日記』で、

 ――有能な指導者は存在感が希薄である。

 と述べました。
 これは、

 ――有能な指導者は、あえて言葉を多用しない。

 ということです。

 すなわち――
 有能な指導者は――
 突きつめた指導方針を言葉で明確に表していながら――
 それを自ら執拗かつ声高に吹聴することなく、できる限り簡潔な言葉で断片的に伝えていく中で――
 組織の人員の多くが、その突きつめた指導方針をしぜんと理解し、実践していくように仕向けていく――
 ということです。

 有能な指導者は――
 指導方針の伝達に雄弁が有利に働くとは限らないことを熟知しています。

 ……

 ……

 蛇足ながら――
 ひとこと――

 ――有能な指導者は存在感が希薄である。

 ということは、

 ――存在感が希薄な指導者は有能である。

 ということを意味してはいません。

 存在感の希薄な指導者が有能とは限りません。

 たしかに――
 存在感の希薄な指導者は、突きつめた指導方針を自ら執拗かつ声高に吹聴することはしていない――
 という点は間違いありませんが――

 その“吹聴”を――
 あえて、していないのか――
 それとも――
 本当はしたいのに、できないでいるだけなのかは――
 雲泥の差です。

 存在感の希薄な指導者の中には、有能でない指導者が少なからず含まれています。

 突きつめた指導方針を言葉で明確に表せていないような指導者は――
 当然ながら――
 その指導方針を“吹聴”することもできませんから――
 存在感は、どうしたって希薄になるのですね。