人に働きかけるというのは、大変に難しいことです。
どんなに良かれと思って助言をしても、どんなに真摯かつ丁寧な提言を行っても――
それらが快く受け入れられることは、あまり多くありません。
むしろ――
それら助言や提言を機に人間関係が気まずくなった――
というような話をしばしば耳にします。
……
……
人の話を聴く時には、
聴く
受けとめる
働きかける
の3つの過程を意識することが大切である、とは――
ここ数日の『道草日記』で繰り返し述べていることですが――
これら3つの過程の3つ目の“働きかける”については――
どんなに強く意識しても、しすぎることはない、といえます。
それだけ“働きかける”が危険な過程である――
ということです。
この“働きかける”については――
僕は、かなり思いきった意識改革が有効であると、考えています。
どんな意識改革か――
それは、
――人に働きかけるのではなく、人の話に働きかける。
という発想の転換です。
例えば――
「もうヤだ! 彼氏と別れる!」
と息巻く女性に、
「まぁまぁ、そんなことをいわずに、もう少し冷静になって、今の彼氏と海外旅行にいって楽しかったことなんかも思い出してみなよ」
と語りかけることは、
人に働きかける
です。
これに対し、
「『もうヤだ!』っていったけど、今の彼氏の全てがヤになったわけじゃないでしょ。つい先週も一緒に海外旅行にいって楽しかった話を何回もしていたよ」
と語りかけることが、
人の話に働きかける
です。
つまり、
――もうヤだ! 彼氏と別れる!
という発言を標的に定め――
その内容の一部に若干の変更を求める――
今の例でいえば、
――もうヤだ!
を、
――旅行の予定を自分に相談せずに勝手に組むところがヤだ!
に変える――
というようなことですね。
こうした発想の転換によって――
その後の“働きかける”のやりとりが、ずいぶん違った展開となりえます。
「旅行のことに的を絞って、少し彼氏と話し合ってみたら? ひょっとすると考え方を変えてくれるかもよ」
「う~ん。そうかな~」
「大丈夫――きっと、そうだよ」
というように――