マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「想定外にも備える」の中身

 ――想定外にも備える。

 という発想が――

 2011年の東日本大震災の後――
 にわかに脚光を浴び始めました。

 重要な発想だと思います。

 もちろん、

 ――「想定しえないことを想定して対策を講じる」というのは言語矛盾だ。

 という反論は――
 一理あります。

 が――
 この国の社会が東日本大震災から得た教訓は、

 ――それでも何とかして対策を講じなければならない。

 というものでした。

 今や、

 ――想定外だったから、対策は講じられなかった。

 は言い訳にもならないのです。

 ……

 ……

 ――想定しえないことを想定して対策を講じる。

 とは、どういうことか――

 具体的は――
 あらゆる想定外事象に対応できそうな対策をあらかじめ講じておく――
 ということです。

 当然、その対策の中身は最大公約数的となります。

 さらに具体的には――
 ある想定外事象が発生した後に、

  1) いかに人手を集めるか
  2) いかに時間を稼ぐか

 の2点が柱となるでしょう。

 ここで大切なのは――
 あらゆる想定外事象を想定する以上――
 これら2点が常に必要とは限らない――
 ということです。

 場合によっては、1)だけが必要で――
 場合によっては、2)だけが必要です。

 さらにいえば――
 1)だけが必要で、2)は不必要という場合――つまり、人手を集めて迅速に対応しなければならない場合――
 2)だけが必要で、3)は不必要という場合――つまり、単独でも現状維持で対応しなければならない場合――
 も考えられます。

 要するに――
「想定しえないことを想定して対策を講じる」を実践するのなら――
 少なくとも3通りに場合分けされることが原理的に要請される――
 ということです。

 こうした場合分けの発想は――
 しばしば、ひどく嫌われます。

 ――めんどくさい。

 とか、

 ――疲れる。

 とか――

 あるいは、

 ――高校時代の数学を思い出してイヤだ。

 という向きもあるでしょうか。

 気持ちはわかります。

 場合分けの発想は――
 場合分けをしない発想よりも――
 少なくとも複雑です。

 こうした発想になじむには――
 それなりの思考訓練が必要です。