――“できる男”と“できない男”
とか、
――“わかってる女”と“わかってない女”
とか――
そんな言い回しを――
よく見聞きします。
衆目を集めやすい言い回しなので――
とくに好まれて使われるようです。
その根底にある発想は――
たぶん目新しいものではありません。
ひところ、
――“勝ち組”と“負け組”
といった言い回しが流行しましたが――
その発想と同じでしょう。
すなわち――
人は、レッテルを貼りたがる存在である――
ということです。
――あの人は“勝ち組”で、この人は“負け組”で――
というように――
あるいは、
――こういう男性は“できる男”で、ああいう男性は“できない男”で――
というように――
あるいは、
――こんな女性は“わかってる女”で、あんな女性は“わかってない女”で――
というように――
……
……
誰しも自分がレッテルを貼られるのは嫌なのですが――
誰かにレッテルを貼るのは構わないのですね。
むしろ、大好きであったりします。
かくいう僕も――
そうした偏向を自分の思考の内に感じとらざるをえません。
……
……
本当は――
“勝ち組”“負け組”も――
“できる男”“できない男”も――
“わかってる女”“わかってない女”も――
そんなに簡単には分類できないのです。
有限かつ明示の基準ないし尺度で人を評価し、判定することには、限界があります。
それら基準や尺度によって想定されていない要素が、必ずや絡んでくるからです。
にもかかわらず――
それら基準や尺度で評価し、判定しうると信じ込むことで、心の安らぎを得ようとする――
そういう傾向が――
人には、あるのではないでしょうか。
……
……
本当は、分類などできっこないのに――
強引に分類し、無理やり安心したがる――
そんな欲求に突き動かされ――
人は誰かにレッテルを貼っているのだと思います。