マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「彼には哲学がない」の真意

 ある人が、ある人を指して、

 ――彼には哲学がない。

 と批判するのを耳にしたことがあります。

 今から25年ほど前のことです。

 そのときは、
(「哲学がない」って、いったい、どういう意味だろう?)
 と首をひねったものですが――

 その後、何年か経って――
 哲学の方法論の初歩について学ぶ機会があって――
 そこで、

 ――単に認識を研ぎ澄ませ、思考を紡ぎ出すだけが哲学ではない。その認識や思考の内容を言葉で厳密に表現することが哲学である。

 という話を聞き――

(なるほど)
 と首肯しました。

 つまり、

 ――「哲学がない」とは、少なくとも表面的には、「言葉による表現が厳密ではない」の意味である。

 と、僕は理解したのですね。

 要するに――
 認識や思考の内容が言葉によって厳密に表現されていれば――
 その認識や思考の内容は十分に高度であり、洗練されているに違いない――
 ということであり――

 さらにいえば――
 認識や思考の内容が言葉によって杜撰にしか表現されていなければ――
 その認識や思考は、ほぼ例外なく、真剣に吟味する価値がない――
 ということです。

 もっと、くだけていえば、

 ――言い方がいいかげんだから、考え方もいいかげんだろう。

 ということですね。

 つまり、

 ――あいつの言葉はいいかげんだ。

 を、やや高尚そうにいいかえたのが、

 ――彼には哲学がない。

 である――
 というわけです。

 ……

 ……

 たしかに、「あいつの言葉はいいかげんだ」というかわりに、「彼には哲学がない」というほうが――
 いくらか改まった感じはしますね。

 どちらも痛烈な批判であることに変わりはありませんけれど――