マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「なぜ理想を追わぬ?」の危うさ

 理想と現実との板挟みにあって――
 理想を尻目に、現実と奮闘をする人に向かって、

 ――なぜ理想を追わぬ?

 と叱責をすることには――
 危うさが潜みます。

 そうやって奮闘をする人の姿勢を――
 ただ理想を追わないという理由だけで――
 例えば、理想には目もくれずに、ただ現実と格闘をしているだけの人を糺すのと同じように、

 ――けしからん!

 と断罪をするのは――
 ちょっと説得力を欠くでしょう。

 たとえ尻目ではあっても、理想の方へ多少なりとも注意が向いているのであれば――
 理想が無視されていることにはなりません。

 理想が無視されていないのであれば――
 いずれは、現実との奮闘の方法論が進化し、いつの日か、その方法論が何らかの成果をもたらすでしょう――たとえ、その日が遠い将来であったとしても――

 ただし――
 理想が確実に無視されていて――
 しかも、その動機が当事者の保身によるのであれば――

 それは、厳しく断罪されるのがよいと思います。

 本質的なのは――
 現実との奮闘の進捗が絶望的か否か――
 また――
 当事者の思惑に「保身」という名の私欲が混じっているか否か――
 です。

 この点を度外視した断罪は――
 互いの感情的な反発をいたずらに招き合うという意味で――
 大変に危ういのです。