マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その「美しい」に逆評価の覚悟はあるか

 ――美しい

 と感じた事物を、
「美しい」
 と、実際に声に出して述べたり、文字に記して述べたりすることには――
 それなりの覚悟が必要です。

 ある事物に、ひとたび、

 ――美しい

 との評価を与えると――
 その事物へ「美しい」との評価を与えたこと、それ自体によって――
 自分自身もまた、評価の対象となるからです。

 ――あれを「美しい」と評するとは、素晴らしい!

 とか、

 ――これを「美しい」と評しているようでは……。

 とか――

 ……

 ……

 そのような逆評価を受けずに済むような安全な立場から、ごく軽い安易な気持ちで、無責任に「美しい」と評価をすることには――
 僕らは、かなり慎重になるのがよいと思います。

 覚悟を決めないで「美しい」といったり――
 安全な立場から「美しい」といったりしても――
 それで誰かの心が動くとは考えにくく――

 むしろ――
 自分の心の内が見透かされるような、何とも恥ずかしく嫌な気分に陥る可能性が――
 大いにあるからです。

 何かの事物をみて――
 それへ、

 ――美しい

 との評価を与えるときには――
 その自分の「美しい」には逆評価の覚悟があるのか否かを――
 冷静に見極めるのがよいでしょう。