との考え方を――
きのうの『道草日記』で紹介しました。
根拠は――
きのうも述べた通り――
承久の乱の前後の政権の変化です。
承久の乱で軍事的に敗北を喫すると――
朝廷は政権としての実質的な機能をほぼ完全に失います。
最も象徴的な出来事は――
――排除せよ。
と命じたにも関わらず――
逆に後鳥羽上皇が排除される結果となった――
ということです。
当時の人々の感覚では――
おそらく天地がひっくり返ったような異常事態であったはずです。
少なくとも――
この観点からみれば――
北条義時が日本史に与えた衝撃は――
実際には――
そうではありませんね。
北条義時は、どちらかというと評判の良くない人物として知られています。
日本史では、大物ではなく、むしろ小物として扱われることが多いのですね。
例えば――
また――
承久の乱で実際に大軍を率いて京へ攻め上ったのは――
北条義時は、姉の演説に救われ、子の将器に助けられ――
自分は、ただ狼狽し、戦慄していただけであった――
などといわれる始末です。
実際には――
たぶん、そうではなくて――
当時、すでに還暦を迎えようとしていた北条義時は――
戦場で自由に動けるくらいに頑強であった子の体力を活用し――
自らは、武家の最高指導者として、決断の責務を果たすことに専念しただけだ、と――
僕は思うのですが――
いずれにせよ――
北条義時に全国区で通用するような絶対的なカリスマが生じなかったことだけは確かです。
――北条時代
と呼ぶのに抵抗があるのは――
この北条義時の“大物”感の欠如と無関係ではないでしょう。