私小説の対義語として、
――公小説
という概念が成り立ちうるのではないか、と――
考えています。
私小説というのは――
作家が、自分や自分の私生活を素材にして書きますが――
作家にとって自分や自分の私生活は選びようがないために――
私小説は作りこみようがなく、創作の自由度は相応に低くなります。
一方――
作家は、素材を熟知しているため――あるいは、熟知しているつもりであるため――
物語の結末まで勢いよく、かつ奥深く書き進めることが容易です。
これに対し――
“公小説”というのは――
作家が、自分や自分の私生活とは対極的な素材を選びます。
任意性が高く、人為的な素材です。
例えば、
――男女6体ずつ計12体のサイボーグが、1辺1キロメートルの正十二面体型のスペース・コロニーに暮らしながら、恋愛や闘争を繰り広げていく。
といった素材です。
このような素材は、作家が自在に選べますから――
“公小説”は、いくらでも作りこむことができ、創作の自由度は極めて高くなります。
が――
そうした素材は、人工的であり、不自然であるため――
書き進めているうちに、しだいにバカらしくなって筆をおきたくなるような難しさがあります。
……
……
20世紀は私小説の時代であった、と――
僕は思います。
21世紀は“公小説”の時代になるかもしれません。