――他者の自我を、人は、しばしば「魂」と理解する。
と――
僕は考えています。
――自我
というのは――
おとといの『道草日記』で述べたように――
自分で自分を内省しているときの主体です。
そのときの客体が、
――自己
ですね。
このように――
通常、「自我」と「自己」とは明確に区別されます。
ところで――
……
……
――魂
というのは――
この「自我」と深く関わっている、と――
僕は考えています。
いきなり「魂」といわれると――
夜の闇に浮かぶ火の玉のようなものを――
うっかり想像してしまいがちです。
もし、魂が火の玉なら――
たとえ体が失われても、魂単独で存在しうる――
と仮定したくなるのが人情ですよね。
が――
実際には――
体が失われたら、魂も失われるというのが――
今日の自然科学や自然哲学がもたらす経験則です。
人は――
自分が心の中に描く他者の自我を「魂」と感じているに過ぎないでしょう
そう、いわざるをえないのです。
……
……
きのうの『道草日記』で述べたように――
自我の周りには世界があります。
たとえ、その世界が、どんなに陳腐で軽薄な世界であったとしても――
世界であることに変わりはありません。
魂とは、
――世界に包まれた自我である。
といえます。
そして――
もし、魂に軽重があるならば――
それは――
その自我が背負っている世界の軽重に他ならないでしょう。
自我は、おそらくは点のようなもので――
重くも軽くもないでしょう。