マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

死と恋と――決定的な違い

 ――死

 も、

 ――恋

 も――
 人にとって抜き差しならない観念であることは――

 3日前の『道草日記』で述べました。

 どういう意味での「抜き差しならない」かというと、

 ――そのことについて、ひとたび考え、悩み始めたら、容易には抜け出せない。

 という意味です。

 いつまでも、いつまでも、死について考えている――

 いつまでも、いつまでも、恋について考えている――

 そういう人たちは――
 世の中に決して少なくありません。

 ただし――

 ……

 ……

 同じ「考えている」の対象であっても、

 ――死

 と、

 ――恋

 とでは――
 少なくとも2つの点で決定的な違いがあります。

 それは、

 ――体験可能性の有無

 と、

 ――体験頻度の有無

 との2つです。

 死は体験できません。

 ――この前、ちょっと死んでいました。

 というのは――
 比喩でなければ――
 決して成立しえません。

 恋は体験できます。

 ――この前、ちょっと恋をしていました。

 というのは――
 比喩であっても比喩でなくても――
 問題なく成立しえます。

 これが――
 “体験可能性の有無”です。

 一方――
 “体験頻度の有無”とは――

 さらに根本的な違いです。

 死は1度しか起こりえません。

 あなたにとっての死は、人生の最期に1度かぎりであって、決して繰り返すことはありません。

 そもそも――
 死に、

 ――頻度

 の概念を導入すること自体に――
 無理があります。

 が――
 恋は何度でも起こりえます。

 あなたにとっての恋は、人生の最中に何度か繰り返すのがふつうで――
 その頻度は人によって異なります。

 3年に1度という人がいれば――
 3か月に1度という人もいる――

 30年に1度という人がいれば――
 3日に1度という人だって、いるかもしれません。