マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

大学の文化

 ――大学とは、議論を進め続けるところ、企画を立ち上げ続けるところ

 である、と――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 きょうは――
 同じことをもう少し柔らかくいいましょう。

 柔らかくいうと――

 ……

 ……

 ――大学とは、「知りたい!」という思いと「知らせたい!」という思いとが交わるところ

 です。

 もちろん――
 主に、

 ――知りたい!

 と思うのは学生であり、

 ――知らせたい!

 と思うのは学者です。

 が――
 「学生」とか「学者」とか、そういった括りに――
 本質的な意味はありません。

 学者は、30年前は学生であったりするし――
 学生は、30年後には学者になっていたりするのです。

 そのことは――
 高々100年くらいの歴史しかない大学では――
 ピンとこないのですが――

 300年以上の歴史がある大学では――
 当たり前に実感されうることです。

 300年のうちの30年は――
 ほんの一部です。

 ……

 ……

 大学院の頃――

 学会でヨーロッパを訪れていたときに――

 僕が関わっていた研究分野で業績のあった科学者について――
 当時80代であった老科学者に訊ねたことがあります。

 「あの○○教授は、学生の頃、あなたが指導されたそうですね」

 老科学者は答えました。

 「たしかに指導したが、その事実は重要ではないよ」
 と――

 その真意は、

 ――たまたま30年早く生まれたから私が指導したのであり、もし30年遅く生まれていたら彼が私を指導したであろう。

 というものです。

 興味深ったのは――
 その老科学者がヨーロッパの名門大学の総長経験者であり、

 ――私の趣味は政治だ。

 といって憚らなかったくらいに――
 政治家然としていたことです。

 (なるほど――“大学の文化”とは、こういうものか)
 と――
 そのとき、思いました。