マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

織田がつき 羽柴がこねし

 織田信長の、

  鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス

 は――
 織田信長のことを少し揶揄したような響きがある――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 きょうは――
 その「鳴かぬなら……」と並んで有名な「天下(てんか)餅(もち)」の話です。

 ……

 ……

 出典は明確には判明していないそうですが、

  織田がつき 羽柴がこねし 天下餅
  すわりしままに 喰うは徳川

 という落首が――
 今日に伝わっています。

 「鳴かぬなら……」と同じで――
 これも江戸後期に作られたとみなされていますが――

 「鳴かぬなら……」と違うのは――
 徳川政権を本格的に揶揄している点です。

 それも――
 しっかり読み込んで頂ければわかるように――
 かなり本格的に揶揄しているので――

 作られたのが江戸後期いっても――
 その時期は、徳川政権が相応に衰退していた江戸末期ではなかったか、と――
 みなされているそうです。

 「鳴かぬなら……」とは違って――
 織田信長に対しては、かなり同情的な響きが感じられます。

 まあ――
 それは、それで、よいのですが――

 ……

 ……

 この落首を思い出す度に――
 僕は、あらためて問いたくなります。

 (なぜ、織田信長は、天下餅をこねることができず、また、喰うこともできなかったのか)
 と――

 ……

 ……

 現時点での僕の答えは――

 ちょっと禅問答モドキで恐縮なのですが――

 ――織田信長は、天下餅をこねたり喰ったりすることに興味をもてなかったから――

 です。

 いいかえると、

 ――天下餅をついていた時点で、すでに満足してしまったから――

 ……

 ……

 織田信長が最期を遂げた本能寺の変は――
 信長自身の油断が招いたものと――
 一般には解釈されています。

 明智光秀をはじめとする重臣たちに大軍を預けておきながら――
 わずかな供を連れて京の本能寺に宿泊をしていたからです。

 それは――
 その通りでしょうが――

 では――
 なぜ織田信長は油断をしたのか――

 ……

 ……

 (天下餅への関心を失ってしまったからに違いない)
 と――
 僕は思います。

 ……

 ……

 もちろん、

  織田がつき 羽柴がこねし 天下餅
  すわりしままに 喰うは徳川

 の作者には――
 そんなことを指摘する意図は全くなかったと思います。

 が――

 ――天下餅をこねようとしなかった男

 あるいは、

 ――天下餅を喰おうとしなかった男

 とみなすときに――
 織田信長の本性の一端がみえてくるように思います。