マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「明君」と「名君」との違い

 ――清の六代目の君主・乾隆(けんりゅう)帝は、“明君”ではあったが、“名君”ではなかった。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――明君

 と、

 ――名君

 との違いは何か――

 

 もちろん――

 表面上の違いは簡単です。

 

 ――明君

 は「賢明な君主」で、

 ――名君

 は「名高い君主」です。

 

 では、

 ――「賢明な君主」と「名高い君主」との違い

 は何か――

 

 ……

 

 ……

 

 これと少し似ている話を――

 2017年4月2日や2017年4月3日の『道草日記』で述べました。

 

 ――名将は、知将や勇将だけでなく、謀将や猛将をも使いこなす。

 という話です。

 

 現代のプロ・スポーツの世界について述べたことですが――

 人類の戦いの歴史にも遍く当てはまることである、と――

 僕は思っています。

 

 が――

 この話と、

 ――「明君」と「名君」との違いは何か。

 という話とは、根本的に別です。

 

 ――将

 は、通常、複数が併存をします。

 が、

 ――君

 は、通常、単独です――君主は1つの国家に2人以上は存在をしないのが普通であるからです。

 

 よって、

 ――君

 の分類は、

 ――将

 の分類よりも単純です。

 

 ――将

 が、

 ――名将

 ――知将

 ――勇将

 ――謀将

 ――猛将

 ――凡将

 ――愚将

 などと様々に分けられうるのとは違って――

 

 ――君

 は、以下の4通りで足ります。

 

 すなわち、

 ――名君

 ――明君

 ――凡君

 ――暗君

 の4通りです。

 

 場合によっては、

 ――凡君

 と、

 ――暗君

 とは区別をしないでよいでしょう。

 何しろ、君主は国家に1人しか存在をしないのです――その特別な1人が凡庸では困ります。

 

 よって、

 ――君

 の分類は、

 ――名君

 ――明君

 ――暗君

 の3通りでも十分でしょう。

 

 さて――

 

 「明君」と「名君」との違いは何か――

 

 ……

 

 ……

 

 まず――

 前提として、

 ――名君であるには、明君であることが必要である。

 という命題が挙げられます。

 賢明な君主でなければ、名高い君主には、到底なりえません。

 

 一方、

 ――名君であるには、明君であることで十分である。

 とは決していえません。

 賢明な君主であっても、名高い君主になれるとは、必ずしもいえないからです。

 

 ――名高い

 というのは――

 少なくとも君主の場合は――

 ――後世の人々から高い評価を受けている。

 ということです。

 

 先ほど――

 君主は1つの国家に1人と述べました。

 

 このことは、

 ――君主は、少なくとも同じ時代には、客観的な比較がなされえない。

 ということを意味しています。

 客観的な比較がなされうるようになるのは、時代が移ろってからです。

 

 つまり、

 ――名君は、時代を超え、その優れた資質が称えられる。

 といえます。

 

 カギとなるのは、

 ――時代の普遍性

 です。

 

 明君は、特定の時代の人々に称えられるのみですが――

 名君は、任意の時代の人々に称えられます。