西欧列強が覇権国家として世界に君臨をしようとしていた事実に、中国大陸の皇朝・清が気づいたのは、1840年に始まったアヘン戦争の頃であると考えられる――
ということを、11月16日の『道草日記』で述べました。
アヘン戦争は、
――不幸なる中国近現代史の始発点
と、みなされることが少なくありません。
一般には、
――西欧列強――当時はイギリス――が、清と普通に貿易を行っていたところ、買うばかりで売る物がなく、赤字になってしまうので、仕方なく、麻薬であるアヘンを密かに売りつけることで、赤字分を補っていた。その麻薬の売りつけを清が厳しく糺したところ、西欧列強が逆恨みをし、清に戦争を仕かけた。それが、アヘン戦争である。
と理解をされています。
当時、イギリス商人は、中国産の茶・陶磁器・絹などを大量に買いつけていたそうです。
一方、売る物といえば、時計や望遠鏡などの富裕層むけの限られた製品だけであったといいます。
つまり、当時のイギリスと中国との貿易を“戦争”とみなしたら、中国側の完全な勝利であったわけです。
その趨勢をひっくり返すために麻薬を売りつけ始めたイギリス商人は、
――悪徳
の誹りを免れないでしょう。
それを黙認したイギリス政府も同様です。
が――
そもそも、なぜイギリス側が中国側を相手に、かくも不誠実な商売を始めたのかといえば――
それは、中国側がイギリス側に相応の敬意を払わなかったからです。
清は、イギリスとの貿易を、
――朝貢貿易
と、みなしていました。
イギリスを含む西欧列強のことを、
――我らへの隷属を乞う下等な国家群
と、みなしていたのです。
中華思想――あるいは、華夷思想――の傲慢さが剥き出しになっていました。
イギリス側が、
――このような輩に誠実な対応をする必要はない。
と考えたのは、無理からぬことです。
アヘン戦争を、
――不幸なる中国近現代史の始発点
と、みなすのでは――
物事の表面しかとらえていません。
それが始発点であるのは、あくまで見かけ上のことであり――
本当の始発点は、西欧列強が大航海時代の荒波に乗って東アジアへやってきた頃――15世紀ないし16世紀頃――に求める必要があるのです。