マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治政府が“国家百年の計”の教育を誤った理由

 ――明治政府は“国家百年の計”の教育を誤った。

 ということを――

 12月19日以降の『道草日記』で繰り返し述べています。

 

 なぜ明治政府は“国家百年の計”の教育を誤ってしまったのか――

 

 ……

 

 ……

 

 おそらく、

 ――国民教育

 や、

 ――学術教育

 の充実が、

 ――“国家百年の計”の教育

 に取って代わりうると童心的に考えてしまったのでしょう。

 

 西欧列強の国民教育や学術教育の充実ぶりに度肝を抜かれ、つい、そちらばかりに目を奪われてしまった、と――

 想像をします。

 

 実際は、

 ――“国家百年の計”の教育

 は、12月24日の『道草日記』で述べたように、

 ――国民教育

 とも、

 ――学術教育

 とも本質的な関係はありません。

 

 ついでにいえば――

 ――“国家百年の計”の教育

 における基本内容は――

 おそらく有史以来ほとんど変わっていません。

 

 古代においても、現代においても、

 ――“国家百年の計”の教育

 で習得が求められる事柄は、ほぼ同じに違いないのです。

 

 ――国民教育

 や、

 ――学術教育

 における基本内容が、古代と現代とで、まったく異なっていることとは好対照です。

 

 このことに――

 おそらく明治政府は気づけなかったのです。

 

 ――国民教育

 や、

 ――学術教育

 については、ともかく――

 少なくとも、

 ――“国家百年の計”の教育

 については、徳川幕府や、それ以前の政権から学ぶことが多々あったにも関わらず――

 明治政府は、学び損なったのですね。

 

 それくらいに――

 西欧列強の近代的な国民教育や学術教育の在り方が眩しく感じられたのでしょう。

 

 あるいは――

 ひょっとすると、

 ――徳川幕府や、それ以前の政権から学べることなど、何一つない。

 と傲岸不遜に思っていたようなところがあったのかもしれません。

 

 ……

 

 ……

 

 日本列島の歴代の政権は――

 中国大陸の歴代の政権が科挙――中央集権的な高級官吏採用試験――の制度を採っていたにも関わらず――

 そのような“中央集権的な束縛”を教育の世界へ持ち込むことに慎重であり続けました。

 

 それは――

 表層的には、科挙の制度や、それに類似の制度が、日本列島の人々には、どういうわけか馴染まなかったというだけのことなのですが――

 

 そのことの深層的な意味を――

 明治政府は、もう少し慎重に捉えたほうがよかったのです。