マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

身体は散逸構造の1つ

 ――なぜ有機物の塊が、食べたり、歩いたり、できるのか。

 という驚きは――

 そのまま、

 ――身体の機能

 への驚きでもある。

 

 この驚きは、ひとまず、

 ――散逸構造

 という概念で説明――あるいは、換言――をされうる。

 

 自然界では、エネルギーが散逸を続けることで、物質が一定の運動を続けることがある。

 その際、物質は、少なくとも見かけ上、特定の構造を呈する。

 

 その構造を、

 ――散逸構造

 と呼ぶ。

 

 そのような構造の1つが生命の身体である。

 

 ――エネルギーの散逸

 とは――

 エネルギーが流れ行き、乱れ散ることをいう。

 

 一筋の水が飛沫となる様子を思い浮かべればよい。

 

 ただし――

 水の流れであれば、飛沫となるのを強いる装置――つまり、構造――が要る。

 

 例えば、散水機(sprinkler)のような構造である。

 

 散逸構造は――

 そのような装置の構造とは一線を画す。

 

 喩えるならば――

 散水機のような装置が特に存在をしないにも関わらず、あるところで一筋の水が飛沫となっていて――

 しかも、そこに水や水と関連のある物質による構造が現出をしている――

 そのような構造を指して、

 ――散逸構造

 と呼ぶ。

 

 このような構造が自発的に現出をするというのだから――

 まさに、

 ――驚き

 という他はない。

 

 身体は散逸構造の1つとみなせる。

 

 『随に――』