マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

精神は特別か

 身体は散逸構造と1つといえる。

 

 ――身体の機能

 は、

 ――散逸構造の性質

 に他ならぬ。

 

 その“性質”の一部として、

 ――精神

 がある。

 

 つまり――

 精神は、“身体の機能”の中で殊に特別というわけではない。

 

 ……

 

 ……

 

 おそらく、

 ――精神

 は、

 ――散逸構造の性質

 の一角を占める。

 

 その一角が――

 中心の方なのか――

 周辺の方なのか――

 それは、わからぬ。

 

 常識に照らせば、

 ――中心の方

 と答えたくなるが――

 

 根拠は弱い。

 

 仮に、精神が存在をしなくても身体が散逸構造として成立をしうるのであれば――

 精神は、散逸構造の中心ではない。

 

 が――

 仮に、自然界に現出をする全ての散逸構造に精神が備わっているのであれば――

 精神は、散逸構造の中心にあるかもしれぬ。

 

 とはいえ――

 

 ――全ての散逸構造に精神――

 は考えづらい。

 

 身体は散逸構造といえるが――

 散逸構造は身体――

 とはいえぬ。

 

 自然界には生物種の身体ではない散逸構造が、無数にある。

 台風、渦潮、対流――挙げれば、きりがない。

 

 せめてヒト以外の全ての生物種の身体に精神が備わっていなければ――

 精神が、散逸構造の中心にあるとは、いえまい。

 

 真実はわからぬ。

 

 この謎を解き明かすに足る知見を――

 現代の自然科学は持ち合わせていない。

 

 ただし――

 

 散逸構造に「精神」という性質が加わることで、その構造の安定性が増す――

 ということは、ありうる。

 

 もし――

 精神が、“身体の機能”の中で殊に特別ならば――

 それは、そのような意味であろう。

 

 『随に――』