マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

言葉には流行がある

 言葉には流行(はやり)がある。

 ――何を当たり前のことを――

 と思われる向きもあろうが――

 僕がいいたいのは――
 自分が好んで使う言葉には流行がある、ということだ。
 極めて私的な意味での流行だ。よって、本来なら「流行」という言葉は適当ではないが、他に思い当たる言葉がなかったので、「流行」と書く。

 10年前の自分が好んで使っていた言葉で、今は使わなくなった言葉――というものがある。
 例えば、「彼」や「彼女」が、そうだ。

 もちろん、たまに使うことはあるけれども――
 10年前に使っていたようには、使っておらぬ。

 10年前の僕は、かなり頻繁に「彼」や「彼女」を使っていた。
 例えば、小説などで、主人公の名前を紹介した後は、終始、「彼」や「彼女」で受けていた。

 それを止めたのは、
(英語くさい)
 と思ったからである。

 もちろん――
 それ以前にも、英語の「he」や「she」を逐一、訳していたら変になる、ということくらいはわかっていたが――
 あるときを境に、本当にイヤになったのだ、吐き気がするくらいに――
 英語が嫌いになった瞬間かもしれぬ。

 逆に好んで使うようになったのが、「いう」だ。
 漢字は、一般には「言う」をあてるが、僕は「云う」をあてる。

 10年前は、意地でも使わなかった。
 例えば、小説などで、

 ――○○は○○と云った。

 とは、意地でも書かなかった。

「云う」ということを「云う」を使わないで表現することが、小説の醍醐味だと思っていた。

 今は、思わぬ。「云う」を平気で使う。
 だから、ときどき、注意をされる。

 ――小説では、なるべく「云う」は使わないものですよ。

 と――
 僕は、そうは思わぬ。

「云う」を使うようになったのは、古文の影響だ。
 古文では、しばしば「云う」に相当する言葉が挟まれ、それが文体のリズムを整えている。
 その流れの良さに惹かれた。

 結局、自分が使う言葉は、自分の好みで決まる。
 好みは流行に左右される。

 だから――
 言葉に流行が生まれる。