物語は、作るものではなく、
――紡ぐもの
だと思っている。
つまり――
例えば、小説家が物語を書くときに――
もし、その小説家が、どのような結末に仕立てようかと、あれこれ意識して書いているならば――
その小説家は、物語を作っている。
逆に――
もし、その小説家が、どのような結末になるかもわからずに、ただ無意識に書いているならば――
その小説家は、物語を紡いでいる。
もう少し神経科学的にいうならば――
脳の中の神経細胞の発火パターンが、小説家の主観によって――
多少なりとも意識されているならば、物語は作られており――
ほとんど意識されていないならば、物語は紡がれている。
思うに――
脳が、どういう物語にしようかなどと考えているときには――
脳は、計算間違いを犯すのではないか。
余計な並列操作が、肝心の主要操作を乱すのではないか。
小説家は、小説を一心不乱に、無意識に、書くのがよい。
あれこれと意識して細工を施すと、たいていは、つまらない作品になってしまう。
*
上橋菜穂子さんの小説『精霊の守り人』(偕成社、1996年)は、児童向けファンタシーとして書かれたにもかかわらず、主人公は30歳の女用心棒である。
児童向けファンタシーとしては破格の設定だ。
ジャンルを意識していたら、こうはなりえない。
編集者は眉をしかめたらしい。
が、上橋さんは怯まなかった。
そして、ベストセラーになった。
全10巻の『守り人』シリーズが華を開いた。