マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

所詮は高校生の?

 しばしば、「高校数学」とか「高校物理」とかいう。

 たいてい――
 少なからず、嘲弄の響きがこめられている。

 ――所詮は高校生のレベル――

 といった具合だ。

 が――
 高校生を相手に、一度でも数学や物理を教えてみれば、よくわかることだが――
 とても、

 ――所詮は高校生の――

 などとは、いっていられない。
 きちんと教えようと思ったら一苦労である。
 数式処理が前面に出てくるからだ。

 昨今、素人向けに多くの数学書や物理書が出版されているが――
 その多くが数式処理にウエイトを置いていない。

 ――数式は極力、使わない!

 というのが合言葉になっていることも、きわめて普通である。

 実際には――
 数式を使わずに数学や物理を理解しようというのは――
 喩えるなら――
 ボールを使わないでサッカーをやるようなものなのだが――

 そのような合言葉を掲げた書籍が、そこそこに売れているということは――
 世の中には、ボールを使わないでサッカーに打ち興じられる人々が、案外、多く存在している、ということを意味している。

 もちろん、

 ――そうした人々は、実際にボールを使ったサッカーを体験したことがないのでは?

 という懸念を拭うことはできない。

 とはいえ――
 その気持ちも、わからないではない。

 たしかに、ボールを使ったサッカーは辛(つら)い。
 ボールは、初心者の思う通りには、コントロールされない。

 が、そうしたもどかしさを通して初めて理解できる領域がある。

 ――数式は極力、使わない!

 に満足する人々が、決して分け入ることのできぬ領域である。

 高校数学や高校物理では、そうした領域への入り口が幾つも開いている。

 ――所詮は高校生の――

 などは、とんでもない誤解だ。

 だから――
 最近では、

 ――やり直す高校数学

 とか、

 ――高校物理の総復習

 とかいうコンセプトも目に付くようになった。

 数式処理を正面から扱うならば、大変に結構だ。

 泰斗たちの専門書を読むよりは、遥かに豊かな実りを手にできるであろう。

 ただし――
 読むときは筆記用具を忘れずに――

 筆記用具を使わずに読むことは――
 靴も靴下も履かずにボールを蹴るようなものである。