自分の心を満たすことは、必ずしも自分のためだけではない。
心が満たされることで、自分の周囲に気を配れるだけの余裕が生まれる。
――情は人のためならず。
などといわれるが、
――欲は己のためならず。
という言い方も、ありかもしれない。
欲望を持つことや欲望を満たすことが、まわりまわって、自分の周囲に利益をもたらすことは、十分にありうるだろう。
例えば、親が自分の食欲を軽視していては、乳飲み子を育てる体力を失うに違いない。
もちろん――
過度な欲望を持つことや、無理に欲望を満たすことは本末転倒だ。
結局、
――足るを知る。
というのが、鍵になってくる。
2006年12月29日の『道草日記』で、以下のように論じたことがある。
すなわち、「足るを知る」というのは、煎じ詰めれば、
――足らざるを知る。
である――
あるいは、
――足るの知られざるを悟る。
である、と――
欲望を満たすということは、欲望は永遠に尽きぬということの悟りを伴う。
いや、その悟り自体のことだといってよい。
それを悟るには、ある程度の充足が必要である。
僕は禁欲をよしとはしない。
禁欲一辺倒では、みえてこぬものがあると思うからだ。
ただし、禁欲をしたいという欲望が強いのなら、禁欲も結構である。
欲望を抑制するには欲望を手なずけることが避けて通れない。